ISIL(イスラム国)を分析3。(宗教の側面で分析)

そもそもISILとは?宗教的に見てみよう

ISILとは、イラク国内で結成されたテロ組織です。最近では「過激派組織IS」とも呼ばれていますね。最初の頃は人数も少なく、アルカイダ(イスラム原理主義過激派で反米テロ組織。9.11テロを起こしたとされる)の末端組織でした。ISILの宗派は、イスラム教のスンニ派になります。イスラム世界全体ではスンニ派90%、シーア派10%と言われています。

イラクは世界全体とは逆で、シーア派が多い国です。割合はシーア派65%、スンニ派35%、キリスト教4%です。ちなみに東側に位置する隣国イランもシーア派国家です。

イラクのシーア派の多くは、主に東側の中央部分で暮らしています。イラクは元々オスマン帝国の一部でした。オスマン帝国はスンニ派国家です。16世紀、イランがペルシアだった頃。ペルシア人はオスマン帝国の力に脅威を感じ、それに対抗すべくシーア派国家サファヴィー朝を建設しました。そんな歴史的背景もあって、イラクの東側にはシーア派が多いのです。

イラク宗教分布図

イラク宗教分布図

スンニ派とシーア派の違いは?

スンニ派は、イスラム世界では多数派の宗派で、創始者ムハンマドの教えを完璧にる宗派です。聖典であるコーランや、ムハンマドの言葉をまとめた言語録ハディースが、彼らの行動規範。信仰の内面を重視するシーア派と違い、スンニ派は戒律を重視し実行します。

シーア派とは、イスラム世界では少数派ですが、イラクやイランに於いては多数派です。イスラム教の開祖ムハンマドの従兄で、第4代正統カリフ(最高権威者のこと)であるアリーを支持し、代々その血族が指導者を務める宗派です。教義内容がスンニ派ほど厳しくなく、穏健派と言われています。ただしイエメンのフーシ派の様に、シーア派系列ですが過激派武装組織も存在します。血筋を重視している為、時代に合わせてカリフが教義内容を柔軟に変えるのが特徴です。ただしアリーの血族は、現代では途絶えています。

アリーが第4代カリフに就いたときに、「カリフは血統で選ぶべき」とするシーア派と、「話し合いで決めるべき」とするスンニ派とで戦争が起きました。世界的にシーア派が少ない理由は、それに負けたシーア派が、聖地であるメッカを追い出されたからです。

イラク戦争の後、イラク国内で過激派組織が生まれた

フセイン大統領はスンニ派でした。そのためイラク国内の多数を占めるシーア派を抑圧する政治を行っていました。しかしイラク戦争が起き、フセイン政権が倒れます。その後、自由な選挙をした結果、国民の多くはシーア派ですので、当然シーア派政権が出来ました。大統領にはシーア派であるマーリキが新たに就任しました。

最初の頃イラク新政府は、スンニ派とシーア派の平和共存を目指して政治を行っていました。しかしマーリキ首相は、だんだんとシーア派優遇の政策を始めます。

例えばスンニ派は、警察官や軍隊に入れなくなりました。力のある重要なポジションからスンニ派を追い出したのです。そうすると、スンニ派系住民の不満が高まっていきます。

かつて、フセイン政権下で軍隊や警察に所属していたスンニ派系の人たちは、みんな解雇されてしまいました。彼らは武器の扱いに慣れており、マーリキ政権に不満を持った人たちです。彼らは、それぞれ独自のルートで武器を手に入れます。その結果、武力を持った反政府勢力となりました。最初の頃はアルカイダの末端で、とても小さな勢力でしたが、2010年から2012年にかけて、アラブ系の国々で起こった民主化運動「アラブの春」を切っ掛けに、組織は大きく拡大します。

ISILはどうやって組織を拡大したのか?

民主化運動アラブの春は、隣国シリアでも起こりました。シリアの反政府勢力には、サウジアラビアやカタールが武器や資金を援助していました。シリア政府が倒れれば、自分たちが支援した反政府勢力を通じてシリアを支配する事が出来、中東での主導権を握る事が出来るからです。そのためサウジアラビアとカタールは、表面的には仲良くしながらも、競うようにシリア反政府勢力に対し、武器や資金の提供を行っていました。

ISIL(当時はISI:イラクのイスラム国と名乗っていた)はそれを見てチャンスだと思いました。シリアに渡り、同じスンニ派である反政府勢力に加担するのかと思いきや、反政府勢力を攻撃し、豊富な武器や資金を奪いました。世界一豊かなテロ組織の誕生です。彼らの性質があまりにも過激すぎたため、親組織であるアルカイダは彼らと絶縁してしまいました。

ISI(イラクのイスラム国)はシリアでの戦闘後、ISIS(イラク・シリアのイスラム国と名乗りました。その後、世界征服を狙うためIS(イスラム国:Islamic State)と名乗りました。しかし国連、アメリカ政府、日本政府はその計画を認めていない為、彼らの事をISIL(イラクとレバントのイスラム国:Islamic State in Iraq and the Levant)と呼んでいます。当ブログに於いても、その意向に沿ってISILと表記しています。

※レバントとはシリア、ヨルダン、レバノン、パレスチナ、イスラエルを指した言葉。歴史的シリア、大シリア、シリア地方と呼ばれていました。オスマン帝国の一部でしたが、第一次世界大戦中にイギリス、フランス、ロシアの間で交わされた密約、サイクス・ピコ協定により、レバントを含めたオスマン帝国は分断されてしまいました。

まとめ

さて、現実的な側面でのISILの解説は、今回で終わりです。次回、スピリチュアリズムの視点で総括した内容をお届けしたいと思います。

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