最近は「脱法ハーブ」などの名称で、危険な薬物が世に出回っています。
こういった危険な薬物を使うと、どうなるのか。
今回は、脳とスピリチュアルの観点からお伝えしたいと思います。
「脳の観点」
麻薬を使うと幻覚を見る事は、よく知られています。
幻覚を見る理由は様々ですが、主な理由は
「脳内の、神経伝達物質(以下、脳内ホルモン)の過剰分泌もしくは不足」
によるものです。
脳の機能は、脳内ホルモンによって統制されています。脳内ホルモンが正常に分泌される事によって、脳神経は正常に働きます。
脳神経が正常に動く事で、私たちは日常生活を送る事が出来ます。
感情
食欲
性欲
睡眠
運動機能
そして記憶
脳内ホルモン分泌に異常をきたすと、脳は暴走状態になります。
暴走状態になると、脳は情報を統合統制できません。
普段は何気なく素通りしてしまう、あらゆる情報がフィルター無しの状態で
脳を直接刺激します。
整理されていた過去の記憶が、脈絡もなく次々と呼び起こされ、
恐怖や多幸福感を増幅させます。
脳は情報を整理し、状況を理解するのが役割です。
脳自身が暴走している。その状況を理解しようとした結果、それは幻覚という形で表れます。
「スピリチュアルの観点」
スピリチュアルに於いて、脳の役割は受信機(チューナー)です。
科学の世界では、ハードディスク(記録媒体)は脳であり、記憶は脳に蓄積されると考えられていますが、スピリチュアリズムの考えでは、記憶は魂に蓄積されます。
つまり、あなたの脳が考えて行動しているのではなく、
あなたの魂が考え、それを受信機である脳がそれを読み取り、行動につなげています。
麻薬を使うと脳内ホルモンが乱れ、受信機が正常に動かなくなります。例えるなら、ラジオの周波数がズレて、違うチャンネルに繋がっている状態です。
普段の脳は、この世(現世、現界)寄りに周波数を繋げているので、スピリチュアルな世界は見えにくくなっています。
ですが周波数がズレた脳は、幽界寄りに繋がっています。これが幻覚を見る理由です。
一見、スピリチュアルな世界を垣間見れるので、とても素敵な事のように思えるかもしれませんが、それは大きな誤解です。
幽界とは死後、魂が向かうスピリチュアルワールドの一つ。階層がランクごとに分けられた完全な縦社会です。階層が上になるほど、とても美しい世界になります。
簡単に言うと上層部が「天国」、下層部が「地獄」と呼ばれる世界です。
幽界に於いては、現世での社会的地位は全く関係なく、魂の純粋さのみで階層が決定されます。
つまり、純粋な魂は天国に。修行の足りない魂は地獄に向かいます。
死後の話ですから、なんだか遠い世界の話しに聞こえますが、実は私たちは毎晩、眠っている時に、魂だけ幽界に里帰りしています。朝目覚めたとき、それは「夢」という形で記憶に残ります。
ここで話を、麻薬の話に戻しましょう。
端的に申しますと、麻薬で繋がったスピリチュアル世界は「地獄」の方です。
私たちは、この世に魂の修行に来ています。魂の修業とは真善美を学び得る事。そして、麻薬に依存して、一時的な快楽を得る事は、真善美からかけ離れた行為です。
麻薬に依存する修行の足りない魂は、地獄に向かいます。魂は階層の低い幽界にある訳ですから、受信機である脳が受信しているのは、地獄に繋がった自分の魂。
つまり、幻覚で見えているのは、地獄にある自分の魂が見ている世界です。
麻薬への「依存心」で魂が穢れ、薬物の作用により脳のチューニングが狂った結果、起きているのにも関わらず、幽界の下層部と繋がってしまう訳です。
また、肉体と魂の繋がりが不安定になってしまうため、未浄化の霊に憑依される危険が出てきます。
憑依自体は、普通に生活していても日常的によくある事なので、別段恐れる事でもないのですが、(霊からすれば、あっちでお祭りやっているみたいだ!行ってみよう。ぐらいの感覚で近づいてきて憑依します。気にする事でもない)肉体と魂の繋がりが不安定な時に憑依されると制御がきかず、本人が望んでいない行動をしてしまう事があります。
肉体を車に例えると、運転を他の誰かに乗っ取られてしまった様な状態です。もし、乗っ取った者が、車の免許を持っていなかったら?大変危険ですね。
麻薬に依存性がある事にも、スピリチュアル的な意味合いがあります。依存や執着の根底にあるのはエゴです。
「執着を棄てる」とは「エゴを棄てる事」。これは真善美を得るために、必要なことの一つです。波長の法則、因果の法則により、全ての出会いや出来事は、自分で引き寄せたもの。麻薬との関わりが出来てしまった事も、自分の心の弱さや波長が引き寄せた必然です。その人にとって、自分の心を内観し弱さと向き合い、執着を棄てる事が魂の学びに最も必要なのでしょう。
執着は自分を縛り、他者も縛ります。依存心、執着を棄てることで、魂は自由になれます。
魂は永遠ですから、学びに年齢は関係ありません。目の前の事から目をそらさず、自分の歩幅で大我を目指す事が大切です。